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Life is almost like a daydream.

黄金仮面の王|マルセル・シュオッブ


以下ネタバレあり



「卵物語」

寓話風でおもしろい。王さまの一挙一動が法令になったり政治家を生み出したり宗教を発生させたりする。
卵料理を羅列するシーンがいかにも美味しそう。訳文が多田智満子なのもよい。


「バーク、ヘアー両氏」

エドガー・アラン・ポオの影響が色濃く感じられる。こう言う話も書くのかという驚き。二人組の連続殺人犯を、彼らが全盛期の間のみで終わらせる美意識。


「ペスト」

ペストが猛威を奮っているフィレンツェから逃れ、金を稼ぎながら旅をする道中で度々血液と粉でペストのふりをして悪戯をする二人の話。
ペストだ!と蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく人々の様子に、当時ペストがどれだけ人々の恐怖の対象であったかを描写している。
ペストから逃げてきたはずが、度重ねた悪戯を経て最終的に最も危機的状況でペストに罹ってしまうという皮肉よ。


「顔無し」

こちらもポオの片鱗が垣間見える作品。顔を削がれて失った二人の男が、どちらかが自分の夫だと主張する女に世話を焼かれるうちどちらもが彼女の愛玩生物となってゆく。
片方を贔屓しはじめ、それが原因で片方が病み、死してから死んでしまった方が本当の夫だったのではという疑念が湧いてくる。
残酷さの満ちた中に悲しさをひと匙落としたような読み心地だった。


「眠れる都」

静寂と停止を恐れる海賊船の一団が迷い込んでしまったのは、すべてが停止している都だった……。停止した都の描写が美しくも恐ろしい。
眠れる都の倦怠に縛られ、自身とおなじルーツを持つ停止した人々に次々と抱きついて自らも停止してゆく仲間と、生まれ故郷を持たぬがゆえに永遠の"動"である海へ逃げ延びようとする船長。
最後に記された原註から、逃げきれなかった結末が漂うのもそら恐ろしく感じる。


「ウォルター・ケネディ」

裏切りの嫌疑をかけられた仲間に対してあいつはいい奴だ=だから助けてやってくれ、ではなく縛り首にしてやってくれ、そうでないと悪魔に攫われたっていい、という考え方は海賊特有の考え方なのかもしれない。
敬虔なクェーカー教徒の船を救助し、気に入って略奪や虐殺を行うことなく港まで連れて行ったらそのまま捕まってしまい縛り首になりそうな時も相手への呪詛を吐かず、成り上がり紳士(海賊であること)を主張する。ある意味で芯が一本通っている。


「木の星」

読んでいて最も感銘を受けた作品。
生きている森の深い息づかいが聞こえてくるような文章。森を抜け出した少年が平野、川、海、街と彷徨いながら自分だけの星を探すという話だが、とにかく描写がため息が出るほどうつくしい こんなにうつくしい話が存在していたのかという驚嘆と喜び。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、稲垣足穂『ヰタ・マキニカリス』、片山廣子のエッセイ「北極星」が好きな方にもぜひ読んでみてほしい。


「列車〇八一」

怪奇小説らしい怪奇小説。コレラの恐怖の吹き荒れるヨーロッパで機関士を勤める"わたし"がある夜突然並走してきた列車〇八一("わたし"が運転している列車一八〇号と瓜二つ)。
中国、アジアに対する素朴なまでの蔑視がきつい。


「青い国」

オスカー・ワイルドに、とあるように寓話的な雰囲気の作品。みすぼらしい部屋の埃の匂い、焼けた栗の爆ぜる音、三本しか足のない机の軋む音がいまにも聞こえてきそうな文章。
マイが何故"怪物さん"と呼ぶのか、何故貧しさが遠のくにつれ悲しそうな顔になったのか、最後の「マイとミシェルは青い国に旅立ちました」が本当にただ出て行っただけなのか。死のメタファーにも思えてくる。


「運命を負った娘」

寓話と怪奇を混ぜ込んだような話。鏡に写る自分自身を別人格とみなし、毎日話しかけたり口づけたりするうちに鏡の中の自分に対して本気で怒り、嫉妬するようになる。やがて鏡の中の自分は悲しげな目つきで彼女に歩み寄り、隣に腰掛けてきて彼女は死を予感する。


「リリス」

多田智満子によるあまりにもうつくしい訳文。見事。リリスというファム・ファタルを得てリリスの死とともに自身の最高傑作である詩をリリスの墓に封印したものの、その詩作の欲のほのおが再び燃えてリリスの墓を暴き、最高傑作を世に出してしまう。
ダンテとベアトリーチェであったはずが、自らの手でその清らかさ、神聖さを破壊してしまう。最後の一文「棺の砕ける音が響いてくる」が秀逸。


「阿片の扉」

自分自身から逃れて別人になりたいという願望を持つ男が阿片によって目の前に現れたうつくしい女(これもまたファム・ファタルか)に全財産を投げ出してしまい破滅する話。
シュオッブの作品はなにかを狂おしいほどに追求して身を持ち崩し、悲劇を引き起こしてしまう話が多い。


「ベアトリス」

恋人のいまわの際の口づけで己の中に恋人の声が入り込んだと感じ、自死にまで追い込まれる男の話。瀕死の女の声が自分の中に住み着いたと怯え、自分の内側から発するものがすべてベアトリスのものとなってゆく。
いまわの際の魂の在処はポオも非常に興味を示していたテーマ。


「戯曲(ミーム)」

ヘレニズム期の古代ギリシアの詩人ヘーローンダースのもとから送られてきたやさしい幽霊と生活をともにするうち、幽霊に感化されて綴った戯曲をヘーローンダースへ送ったという体裁ではじまる。
古代ギリシアの人々の生活が時には生き生きと、時には死のかおりを漂わせて綴られる。生と死のあわいが限りなく近く、冥界は没薬(ミルラ)のかおりと黒い罌粟の花で満たされている。
キリスト教布教以前の古代ギリシアの死生観が躍動感あふれる文体で焼きつけられ、まるで本当に古代ギリシアの詩人がシュオッブに宿り書かせたかのような趣きさえある。


「平底船(バルジュ)の少女」

シュオッブの描写する風景のうつくしさをよそに、平底船の娘(バルジェット)は父から伝え聞いた奇想天外な虫たちや鳥たちを求め続ける。少女の強固な意思は現実を見せた水夫たちを詰り、少女は出奔する。
「木の星」の少年のようにただひたすら己の夢見た現実を求めて彷徨うのか、それとも父の元といういまここにある現実に帰るのか。
シュオッブの地の文の描写がうつくしければうつくしいほど、それを否定して出奔する少女が強烈に印象に残る。

獄門島|横溝正史

キャットタワー周辺を片づけていたら本屋の袋に入ったまま出てきたので何年かごしに読みはじめた。文庫の価格が540円で、ここ数年の価格上昇を感じる。

市川崑の映画版を繰り返し鑑賞しているので大筋のストーリーやトリックは知っていたものの、映画版は犯人を改変している+分刻みで誰がいた・いない・目撃していたというこまかい部分はあっさりしているので、実際に原作を読んでみて金田一が登場人物たちの行動を分刻みで把握して絞り込んでいく緻密さにおどろいた。

3人の妹たち(ゴーゴン三姉妹に喩えているのも原作を読んではじめて知った)とお小夜に対する侮り、蔑視の表現がきつく、読むのがつらかった。
(そんな理由で殺すのか、という衝撃が金田一シリーズの根幹にある故の表現だとは思うが、それにしても他の金田一シリーズよりもミソジニーがきつく感じる)
お小夜の3人の娘たちをゴーゴン三姉妹に喩えているのはお小夜が道成寺の鐘入りが得意だったから(お小夜が演じる清姫は蛇に変化して安珍を追い詰める)というつながりが上手い。

物語全体を通して雨が降っていたり霧が深くかかっているシーンが多く、より舞台を重苦しく見せているのが印象的だった。


花物語(上)|吉屋信子

生涯に渡って同性をパートナーとした吉屋信子による少女同士のあわい感情を主題とした短篇集。

非常にやわらかな筆致で少女たちの心の揺れ、感情の波を描いている。
大正時代当時の女学生の服装の描写もこまやかで、当時の少女たちにとってどのような組み合わせが人気で洒落ていたのかを知ることができるのはうれしい。

基本的には少女と少女の出会いからはじまり、瞬間のときめきや胸の弾むような喜びを結晶化して閉じこめている。
出会いのあまりにまぶしいきらめきが美しいほど、別れの描写がきわだってもの悲しく、切ない。

少女たちの邂逅から別離までのスパンが短いのは、やがて枯れてしまう花の名前を冠した短篇で構成されている故か。さみしい終わり方をするものが多く感じる。著者の長編小説も読んでみたい。


江戸川乱歩短篇集|江戸川乱歩

「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」などの有名な短篇を多数収録した乱歩の短篇集。
エドガー・アラン・ポオの名前をもじって筆名にするほどポオの第一人者かつ大ファンでもあるだけあり、ポオのエッセンスを抽出しつつ独自のねっとりとした偏執性でオリジナリティを出している。

ポオの秘伝のタレといえば「早すぎた埋葬」「生きながらの埋葬」だが、乱歩の「人間椅子」「お勢登場」「鏡地獄」「押絵と旅する男」も乱歩の調理した「早すぎた埋葬」なのではないだろうか。


初読の「目羅博士の不思議な犯罪」をたいへんおもしろく読んだ。
不忍池のほとりにて、突然現れた不思議な青年から語られる怪異譚に乱歩本人が耳を傾ける、というシチュエーションで話が進む。月光が人を狂わせる、という話を月光に照らされて鏡のようにひかる池のそばで静かに聞く、しんとした恐ろしさが身に沁みた。


M.R.ジェイムズ怪談全集Ⅰ|M.R.ジェイムズ

一気に読んでしまうのがもったいないのでデザート的にちょこちょこ読んでいる。



(以下ネタバレあり)


◾️十三号室

デンマークのある街に古い文献を読みにきて(ジェイムズ自身が古代研究専門の教授だったのでこのシチュエーションが非常に多い)、街の古い宿屋の部屋で怪異に遭遇する。

十二号室に泊まっている主人公と十四号室に泊まっていて隣室の騒音(勿論主人公の立てた音ではない)に苦情を言いにきた男性と宿屋のおじさんとで存在するはずのない十三号室の扉が存在しているのを目撃し、三人でヤーッ!と中に突撃しようとするシーンが脳内で完全にち…かわの絵柄で再現された。

たまたま泊まった宿屋でこんなヤバめの怪異に遭遇する主人公もたいがい運がなさすぎてかわいそうだが、一番かわいそうなのは知らんうちに自分とこの宿がいつまにかそうなっちゃってた宿屋のおじさんだと思う。

ジェイムズの描く怪異は割と姿がはっきりしていることが多い。怪異譚の恐ろしさは「根本的に解決していない、怪異は野放しのまま」であることで怖さも倍増すると個人的に思っているのだけれど、ジェイムズの怪異も遭遇した当人にはなす術がないことが多々あり、それもまた怖さにブーストがかかっている気がする。


麦の海に沈む果実|恩田陸

恩田陸による学園ミステリ。北海道の湿原に囲まれた、隔離された学園で起こる連続不審死に巻き込まれてゆく少年少女たちの話。

『三月は深き紅の淵を』を先に読んでおくと、三月〜のギミック込みでたのしむことができる。

章の中もこまかく話が区切ってあり、きりよく読みやすい。贅を凝らした学園の中には常に不穏な空気が漂い、本来ならば必ず三月に来るはずが、いわくつきの「二月にやってきた転校生」として鳴り物入りで転入してしまった理瀬の戸惑いや苦悩は、第十五章で爆発的に収斂し、ドミノ倒しのような悲劇を伴って終わりを迎える。


(以下ネタバレあり)


自分自身を忘れてしまい、戸惑い振り回されるばかりだった理瀬もまた、黎二と麗子、二人の少年少女の死とともに終わりを迎える。まるで彼女の「輝かしい少女だった時代」もまたここで終わったのだ、と言わんばかりに、すべての記憶を取り戻した理瀬は颯爽と学園を後にする。

25年前に発表された作品のため、現在の著者の作風がどうなっているかをまだ知らないものの、少女および少女時代に対する神聖視が強固すぎること、性別二元論的な表現が強いこと(特に麗子の掘り下げに関しては弱く感じる)ことが気になった。


早起きのブレックファースト|堀井和子

初期のクウネルや暮しの手帖の雰囲気が好きなひとにはぴったりはまるような文章。
日々の暮らしのなかのささやかな出来事、毎日のルーティン、食べものや愛用の食器などについてが比較的淡々とした筆致で綴られている。

野菜の調理の仕方やパンケーキの焼き方、ミルクティーの淹れ方など、ふとした時に試してみるとよさそうなアイデアもあり嬉しい。

わたしなどは文章を読む際はあまり「共感できるか否か」に重きを置かないため、日常描写のこまやかな、上質なファンタジーを読み終わったあとのような読後感が残った。